自律の創成 第1章 「近代道徳哲学史のさまざまな主題」
第1章 近代道徳哲学史のさまざまな主題
第1節 「道徳哲学と社会変化」
第2節 道徳と自己統治
第3節 道徳と宗教
第4節 道徳、認識論、道徳心理学
第5節 本書の見取図
第1章 「近代道徳哲学史のさまざまな主題」
0-1
〔自律の創成〕
カントは自律としての道徳という概念を創成した。私は創成という観念をカント自身がある初期の発言で用いたように用いている。カントはこう言った。
「ライブニッツは単一のものからなる実体を考え出した。隠れた表象に他ならないその実体を、ライプニッツはまどろんでいるモナドと呼んだ。モナドという概念は彼に与えられたものではなくて、むしろ彼によって創出されたものだからだ」
カントの理解によると、自律は因果律に対立するような自由を必要とする。したがってカントの考えでは、道徳的義務という独特の経験において、われわれは「理性という事実」を「与えられて」おり、その事実によって、物自体の領域の一員であるような自由をわれわれが保持することが申し分なく示される。
私のように、道徳上の義務を経験してもそのようなことが示されるわけではおよそないと思った読者なら、カントの自律に対する見方を説明というよりむしろ創成とみなすだろう。(注釈 2)
(注釈 2)
「自律」
この語句は当初、ギリシャ思想における政治的概念を表象するために、宗教改革期の宗教論争において用いられるようになった。しかし近代初期におけるその主要な用法は政治論争におけるものである。
カントは、彼の実践哲学と同様、理論哲学においても同語句を用いることで、それにより広範な重要性を割り当てた嚆矢こうしである。 自由と道徳について異なった見解をもつ者は、私が本著を『自律の発見』と名づければよかったと思うかもしれない。とはいえ、われわれはカンントの道徳哲学が独創的で深淵なものであるとともに理解が困難なことにも同意できるだろう。ハーバート・ジェームズ・ペイトン Herbert James Paton とルイス・ホワイト・ベック Lewis White Beck から現在までの体系的な研究によって、カントの立場についてのわれわれの批判的把握は大幅に進展してきた。
本著で私が試みるのはカントの道徳哲学とカントが応答した彼以前の著作を関連づけることによって、カントの道徳哲学についての歴史的な理解の幅を広げることである。
第1節 「道徳哲学と社会変化」
1-1
道徳思想史を研究する理由は、カント自身の見解がたんにとりわけ重要だから、というだけではなく、それ以上に、彼の見解が道徳思想史のなかから生まれたからである。
1-2
〔服従としての道徳観 と 自己統治としての道徳観〕
17世紀と18世紀のあいだに、既存の服従としての道徳観は、新たに現れた自己統治としての道徳観によって、ますます異議を唱えられるようになっていた。
旧来の道徳観にもとづけば、道徳はわれわれが神に示さなければならない服従の一面として最も深く理解されるべきである。それに加えて、われわれはたいてい他人に従わなければならない道徳上の立場にある。
われわれにとって、〔皆に対する〕神の権威は、啓示や聖職者によってと同じように、理性よっても知らされる。しかし、道徳が命じることを、誰でも同程度に自分自身で確かめられるわけではない。
自分の心や良心に書き込まれた最も基本的な道徳律をたとえ誰もがもつとしても、ほとんどの者は特定の場合に道徳上要求されることについて、しかるべき何らかの権威によって指図される必要がある。そしてまた、ほとんどの者は通常、道徳が命じることを行なう理由を理解していないから、報酬の供与と同じく、懲罰という脅威も、道徳秩序をもたらすのに十分な服従を確保するために必要である。
1-3
18世紀末までに現れた新しい道徳観は、普通の人なら誰でも等しく自己統治からなる道徳のなかで共に生きていくことができるという信念を中心としていた。
この見解によれば、われわれはみな道徳が要求するものを自分自身で確かめられるの能力を等しくもち、また原則として、他人からの脅威や報酬にかかわらず、道徳の要求に従って行為するように自らを処することができる。
この二つの主張〔道徳が要求するものを自ずから確かめられる能力、脅威や報酬にかかわらず道徳の要求に従って行為できる能力〕は、広く受け入れられるようになり、その結果、たいていの道徳哲学はいまやそのことを前提としているほどである。
それらの主張は、日常生活において以下の役立つ想定をもたらす。すなわち、われわれと共に生きる人々は道徳的制約の理由を実際に理解し承認できるとともに、それらの制約について互いに尊重しあうことを、われわれ誰もが当てにしている、という想定である。
要するに、人々は等しく道徳的な行為者としての適切な能力が、ないと示されないかぎり、あることが想定されている、ということである。
近代における道徳観には17世紀初頭に広く受け入れられていたものと異なる本質的な点が多くある。とはいえ、一見したところでの平等な道徳能力という想定は、最も深く、最も浸透した相違である。
〔平等な道徳能力〕
1-4
自己統治としての道徳観は社会空間のための概念枠組みを提供する。
その空間においてわれわれ各人は、国家、教会、隣人、あるいはわれわれよりも善良もしくは賢明であると主張する者の介入なしに、自らの行為を指図する権利を正当に求めてよい。
〔自らの行為を指図する権利、としての自由〕
旧来の服従としての道徳観にはそのような合意はなかった。
自己統治としての道徳観が現れた初期近代の道徳哲学は、このように、個人と社会の適切な関係に関する西洋の自由主義的見解の勃興にきわめて重大な貢献をもたらした。この自由主義的な生活様式は道徳哲学者の仕事なしには発達しえなかったであろう。 1-5
私が道徳哲学に基本的な社会変化を助長する本質的な役割を認めることは驚くべきことのように思われるかもしれない。しかし必ずしもそうではない。
〔道徳哲学には、社会変化を助長する本質的な役割がある〕
諸々の個人や社会のあいだにある、人間的見地から意味のある相違は大部分、生物学的なものではない。それらは文化的な相違であり、そのため共通の言葉や概念がなければ成立しない。これは間違いなく、人生の道徳的、政治的、宗教的な諸側面についての真理である。
これらの事柄においてわれわれは、自らが実際こういうものだと考えて説明できるとおりの、存在でありうるにすぎない。
17世紀と18世紀の哲学的議論は、われわれの人間性を概念化することと、その人間性を互いに議論しあうことに関する、新しい方法の主要な源泉であった。
われわれ自身の道徳哲学は、それらの昔の議論によって導かれた地点から始まっている。われわれがその地点にどうやって到達したかを知ることは、いまだに問い続けられている哲学的問題のいくつかが、どのように問われることになったのか、を知ることにとどまらない。それはまた、われわれが自らを道徳的な行為者として了解するという、際立って近代的な理解のしかたにどのように至ったのかを知ることでもある。
第2節 「道徳と自己統治」
2-1
本節における主要な話題は、自己統治としての道徳に関する諸説の出現である。
〔自己統治としての道徳に関する諸説の出現〕
早くもマキャヴェッリやモンテーニュの頃〔15世紀~16世紀〕には、服従としての道徳観を、それに代わる道徳観を案出するために退けた思想家もいた。 しかし17世紀から18世紀初頭にかけて道徳を再検討した哲学者のほとんどは、従来の道徳観を、自己統治としての道徳観に置き換えようと意図したのではなかった。彼らはたいてい、従来の見方の範囲内で生じる問題を解決しようとした。
彼らのほとんどは、キリスト教の道徳が、これまで誰も直面したことがなかった困難に対峙して、いかにして役に立つ指針を提供し続けられるか、を示そうとした。自らが道徳的、宗教的に関与すべき新たな社会的、政治的状況が提起した問題を解決するために、道徳と政治に関する新たな思考方法を展開した哲学者もいた。
彼らは、後代の思想家が、結果として自ら〔当時の彼ら、つまり17世紀から18世紀初頭の哲学者〕の思想を、援用した使途を、予見しようとしてもできなかっただろう。
2-2
自己統治としての道徳の理論を創成する努力が自覚されるようになったのは、概ね18世紀初頭からにすぎなかった。
受け継がれてきた道徳観は、人間の尊厳についての適切な評価を考慮に入れておらず、したがって、彼らの多くがいまだに受け入れいてたキリスト教の道徳的教えさえも、適切に斟酌しんしゃくしていない、と考える哲学者は、道徳と政治への関心によって、ますます多くなっていた。 そのような関心はすでに17世紀のうちに強く表明されていた。18世紀の哲学者はそれゆえに、道徳の新たな理解を発展させるための方法を探求する際に、先行者の仕事を利用できた。リード、ベンサム、カントの道徳哲学は、人間の尊厳と価値に関する規範的な信念を表現する18世紀の努力の総決算であった。 その信念が自己統治としての道徳観を導いたである。
2-3
この信念についてのカントの説明は誰よりも完全であり徹底している。彼のみが道徳についての真に革命的な再検討を提案した。われわれは自律的であるがゆえに自己統治を行っているのだ、とカントは考えた。
〔われわれは自律的であるがゆえに自己統治を行っているのだ〕
この考えを通じて彼が言いたかったのは、われわれ自身が道徳律を定めるということである。われわれが道徳律に従うのは、われわれ自身の意志で道徳律を定めているからにすぎない。そしてまさしくその制定行為こそ、誰もが遵法者であることをつねに可能にする。カントは、この強い意味における自律を、擁護した嚆矢こうしであった。 もちろん彼の理論にはたんなる歴史上の関心を超えるものがある。カントの理論は、おそらくホッブズを例外として、他のいかなる近代初期の思想家の著作よりも、現代の哲学的倫理学に大きな影響を与えている。それゆえに以下の叙述で私は、カントを念頭に置き続けている。よってごく自然なことであるが、取り上げる哲学者と論題の選択が歪められてしまっている。しかし私は、カントが答えようと試みた問題がそこから現れたところの複雑な論争について、公平に取り扱うように努めた。
2-4
彼ら〔カント以外の道徳哲学者〕がみな、ブリテンと大陸〔グレートブリテン島とヨーロッパ〕における以前の哲学者による同一の著作を読んでいたとしても、カントはブリテンにまでは影響がまったく及んでいなかった他の哲学者の仕事も知っていた。
道徳哲学についてカントが成し遂げたものの多くは、ドイツでの先行者によって形づくられた。カントが学んだよく知られている思想家についてと同じように、ドイツの哲学者についても何程か知らなければ、カントによる自律の創成に貢献した源泉は、どれほど多様なものであったか、ということが理解できないだろう。
第3節 「道徳と宗教」
3-1
〔道徳観における神の役割とは何か〕
自己統治としての道徳観は道徳能力が人間のあいだで不平等であることを認めない。一方、服従としての道徳観ではそれは一般的な要素であった。これら二つの道徳観における神の役割は何か。
神と人間のあいだの不平等が道徳に対してもつ意味は何か。もし神の優位性が認められないなら、道徳と宗教の結びつきはすべて断たれなければならないのか。
これらの問題に関する論争が、以下で扱うもう一つの主要な主題を形づくる。
3-2
〔宗教との関係〕
哲学それ自体の外部における諸々の出来事が17世紀、18世紀に起こった道徳の再検討を活気づけた主要な原因であった。
宗教改革と反宗教改革は、宗教に結びつけられたあらゆる事柄の論争を対象にしたし、またあらゆる事柄が宗教に結びつけられた。(注釈 5)
(注釈 5)
宗教的信仰がいかに16世紀フランス語の語彙に浸透しており、その結果、宗教を除外して考えることや、それができないと気づくことさえほとんど不可能だったことについての明確な議論として Lucien Febvre "the Problem of Unbelief in the Sixteenth Century" (1982) ch.1 を参照
16世紀から17世紀中葉までほとんど途切れなくヨーロッパを苦しめた戦争状態と、ほぼ17世紀末まで続いたブリテン国内の世俗的紛争は、宗教問題の見地から理解された。
聖職者が伝えたように、神による世界の支配が秩序へと向かう唯一の望みだったなら、平和は得られるべくもないように思われたとしても無理はなかった。宗派上の見解の相違から分裂していた教会によって解釈された道徳は、世俗的生活を可能にするのに十分な共同体内の意識も、外的な制約も、提供できなかった。
3-3
〔政治との関係〕
政治ならば単独でこれらの制約を用意できたのだろうか。たしかに抑圧的な力なら、しばらくは平和を維持できるだろう。しかし誰が、また何を目的として、そのような力を制御し用いるべきなのか。その問題は差し迫ったものであった。それらを問題にした者は、もはや伝統的立場では不十分な、権威に服従する根拠が示されることを、ますます求めるようになった。
宗教論争は、国際問題に対してと同じく、国内の国家的権威に対しても影響を及ぼした。各国家の新たな集団は、権力を手に入れようと要求し始めたが、その要求は、統治がどのように取り扱われ制限されるべきか、また誰がそれに関わるべきか、についての理論によって、自らの主張を正当化しながらなされた。
道徳における唯一の権威であろうとする聖職者の要求は宗教闘争によって蝕まれていった。その一方で、政治闘争によって、はるかに多くの人々が、事態に積極的に参加する能力が十分ある、と認められるよう要求するに至った。
自己統治の道徳は、それまで利用できた理論よりも、そのような要求を擁護するうえですぐれた見地であった。一般に受け容れられるように権威を新たに正当化し、権力を配分する必要が、道徳の再検討を不可避なものにした。
理性に訴えるが、いかなる権威にも訴えない哲学は、救いにふさわしい源泉のように思われたのである。
3-4
〔科学との関係〕
16世紀、17世紀の科学上の驚くべき発展が、哲学一般の、またその一部としての哲学的倫理学の新しい努力にはずみをつけたということが往々にして想定される。
コペルニクスやガリレオからニュートンを通じて、18世紀に至る科学の発展が、哲学の歩みの形成に大いに重要であったことを疑う理由はない。
とはいえ、新しい科学がなかったとしても、道徳は再吟味され再構想される必要があっただろう。科学がなければ、道徳哲学がたどった道程は、間違いなくきわめて異なったものであったように思われる。しかし、宗教的な軋轢や広範な政治への参加要求から生じる問題は、それ自体、科学的知識の進展に帰せられるべきものではなかった。そして科学ではなく政治こそ近代の道徳哲学を主として生みだしたのである。
3-5
〔啓蒙思想、世俗化、無神論との関係〕
私が自己統治としての道徳観と呼ぶものは、世俗化した社会をもたらすための啓蒙思想家による大掛かりな活動に由来する、とよく考えられる。
完全に合理的な根拠が道徳〔という観念〕自体にあったので、宗教は道徳に不要だった、ということを示す「啓蒙のプロジェクト」のようなものが存在したことや、その活動の一部として近代的な道徳観が考え出されたことが想定されているのである。
私の考えでは、この想定はいくつかの点で疑わしい。
3-6
17世紀や18世紀に自らの見解を公表した無神論者も、無論いた。ベンサムは結局のところ、完全に世俗的な道徳に賛成する運動を行った嚆矢ではなかった。 しかし、制度化した宗教は大いに害をなしていると、たんに考えたという理由だけで反宗教的とみなされたものの、無神論を提唱もしなければ、神を疑いもしなかった者は、はるかに多くいた。
たしかに彼らは教会や聖職者が改革されればよいと思っていたが、世俗的な倫理を探求したわけでは決してなかった。反聖職者主義は無神論ではない。
3-7
私が考察する時代の後半におけるさまざまな著作家が自らを「啓蒙された者」と称し、他人にもそう思われるよう望んだ。無神論者もいたが、大部分はそうではなかった。おまけに彼らは他の多くの点でも異なっていた。
私も、結局のところ他の多くの学者と同じように、英語、ドイツ語、フランス語でそれぞれ啓蒙と表現される画一的な運動という見地から、ましてや、啓蒙を標榜するすべての者を包含した単一のプロジェクトと呼ばれうるもの見地から、考えることが有益とは思えない。道徳哲学と啓蒙の世俗化に関する誤りには、とりわけ顕著なものがある。
3-8
つまり、18世紀の道徳哲学に属する主要な努力が、道徳を世俗化するためのものだったという主張は、ごく大雑把な検証にさえ耐えない。
実際、仮に様々なものを、道徳にとっての、「啓蒙のプロジェクト」として一体視するよう強いられているとするなら、私が言うべきなのは、それが、神を道徳に本質的なものだと考える、その一方で、世俗の生活に対する神の支配を制限するための努力だった、ということである。
〔神を道徳に本質的なものと考える、その一方で、世俗の生活に対する神の支配を制限するという努力〕
むろんこの努力は、神と道徳との関係が、どのように了解されたかに応じて、様々なかたちをとった。
3-9
〔主意主義と主知主義〕
私が何度も述べるだろうように、神を道徳に本質的なものに保つ基本的な取組み方は二つある。
〔主意主義とはなにか〕
一つは現在通例「主意主義」と呼ばれる。
主意主義者の考えでは、神が道徳を創造し、神の意志の専断的な命令によって、道徳がわれわれに課された。神はそれゆえ道徳に本質的なものである。なぜなら、神が道徳を創造したのだし、原理上、いつでも道徳を変えられる —— 神が介入して、イサクを犠牲にするようアブラハムに命令したような、まれにみられる機会に神がなすと思われるように —— からである。
(私見: イサクの燔祭)
イサクの燔祭(イサクのはんさい)は、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの物語を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語である。
その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものであった。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられている。
〔主知主義とはなにか〕
もう一つは「主知主義」と呼ばれる。
この取り組み方にもとづけば、神は道徳を創造しなかった。神がわれわれに命令する際、神の意志は永遠の規範に精通している神の知性によって導かれる。神はそれでもなお道徳に本質的なものである。なぜなら、神の摂理による監督によって、われわれが道徳的に秩序づけられた世界に生きることが保障されるからである。
3-10
主知主義者と主意主義者のどちらにとっても、実際問題としての道徳は、諸々の規則や法の遵守に関わる事柄であり、共通善の直接の追求に関わる事柄ではない。しかし、道徳が共通善にかなうように意図されていることは誰もが認める。
それゆえ、個々人が道徳の命令を遵守しても無益であるとわれわれに思われるのも無理はない。多くの人が遵守しないのであり、われわれが成すことの実際の結果を決定するにあたっては、偶然が広範な影響力をもつように思われる。
主知主義者にとって、神は神聖な監督者であり、個々の行為に関する実際の結果を調整して万物を全体として最適なように存在させるだろう。
主意主義者の説にかかわらず、道徳は神の創造したものではない。とはいえ、道徳的な行為は無駄でも自己破壊的でもないことを確かめて、われわれは神の存在を確信しなければならない。
3-11
主意主義者は主知主義者の一部を承認できる。それは自らが創造した世界を神が現に監督していると理解する部分である。だたし主意主義者はそうする必要がない。主意主義者は、世界がわれわれにとって道徳的に理解可能であると考えなくてもよい。
主知主義者は主意主義者の最も基本的な主張を認められない。しかし主知主義者が同意できるのは、神の命令なしには、道徳の基礎にある諸々の真理は、われわれに義務を課す法としての地位をもたないだろう、ということである。
折り合いをつける他の立場もありうる。しかし多くの17世紀、18世紀の宗教信者は、いかなるかたちの主意主義も心の底から拒んだし、徹底した主知主義を認められるものにするための多大な努力に身を捧げた。
〔17世紀、18世紀の宗教信者は主意主義を拒み、主知主義を認められるものにするための努力に身を捧げた〕
主意主義への関心は、私がこれから検討する時代の宗教と道徳についての議論のなかでは不可避であった。
3-12
神が道徳に本質的であるとする宗教解釈は、強固な主意主義的解釈しかないように語る者も、反宗教的な思想家に多くいた。それらの思想家は、あたかも主意主義を拒む宗教信者が、道徳が全体として宗教から独立していると考えなければならないかのように、この問題を提示した。このようにして彼らは、まるで自らがすでに道徳に関する自分の主張で勝利を得たかのように論じることができた。
しかし、われわれは、彼らの誤りによって、より適切に言えば彼らの見せかけによって、欺かれてはならない。
無神論者を除く誰にとっても、初期近代の道徳哲学において、道徳と宗教はしっかりと関連づけられたままであった。自己統治という倫理は、宗教的な哲学者と反宗教的な哲学者のどちらによっても作られたのである。
第4節 「道徳、認識論、道徳心理学」
4-1
自己統治としての道徳観を提唱した誰もが、道徳的な行為者は、ある特定の心理能力をもっているに違いないと考えている。通常の成人は、道徳が命令し是認することを、他からの助けなしに気づくか知ることができ、それゆえに脅威や報酬にかかわらず、その命令や是認に従って生活するように、自らを導くことができる。
これらの考え方が現れた議論において、道徳上の信条や、道徳心理についての認識論に関する問題が、主役を演じた。われわれの道徳認識についての、そしてその〔道徳〕認識とわれわれの動機との関係についての議論が、以下での第三の、繰り返し現れる主題を形成する。
〔われわれの道徳認識、その認識とわれわれの動機との関係〕
4-2
すこぶる一般的な想定のなかに、この論点の理解を妨げるものもあるかもしれない。
「哲学史」という題名のもとに流布している諸々の著作は通常、認識や形而上学に関する理論の発展に専念しており、倫理学はあったとしても、ある種の付録のように扱われている。いったん哲学者の認識論や存在論が固まったなら、道徳理論は結果として導き出されるのだ、ということが想定されているように思われる。その際、この概念上の想定が、道徳理論の歴史的な発展に関する正真正銘の把握を生み出すものとして扱われる。それらの議論では、すでに確立された認識論か形而上学に適合させようとする欲求の結果として、道徳が説明される。
〔認識論、存在論(形而上学)、と道徳理論の歴史的関係〕
しかし、道徳思想史への関心を最初からもっていた私は、これまでこの取り組み方が有益とは感じてこなかった。
4-3
私はしかるべき箇所で、上記のものとは異なるような、認識論と道徳理論の関係を表わす事例をいくつか提示するだろう。ただ、ここでおそらく最も重要な例を指摘しておこう。
17世紀、18世紀の認識論を、経験主義と合理主義、そして〔ひいては〕カント主義に区別する伝統的なやり方は、諸々の異義がそれに対して申し立てられてきたにもかかわらず、本質的に真っ当なもののように私には思われる。
〔経験主義〕
ベーコンからロックに至る経験主義は、倫理学における主意主義に強い親近感をもっていた。倫理学における主意主義は、神への服従としての道徳観を極度に連想させる傾向があった。この道徳観への異義は、神学的立場もとづくのと同じくらい、道徳的立場にもとづいたものであり、それゆえに、主意主義と経験主義の両方に対する異義、とりわけ、神の意図についての経験主義者の見方、およびそれが、われわれの概念に課した制限への異義として扱われた。 合理主義者が経験主義に反論したのは、諸概念やア・プリオリな認識に関して、経験主義に誤謬があると、合理主義者が理解したことによるのと同じくらい、経験主義が重大な道徳的欠陥に帰結すると合理主義者が信じたことによるものであった。
4-4
〔合理主義〕
合理主義自体は、道徳的批判を免れるものではない。
合理主義のとるかたちには、社会の選良〔エリート〕への服従としての道徳観と不可避に結びついたものもあると批判者は考えた。彼らによれば、その種の合理主義では、合理主義の理論家が道徳の基礎と考える知識をどうやって万人が等しく一様に入手しうるのかを説明できない。したがって、自己統治の道徳を擁護するという規範的な問題によって動かされた者にとって、この種の合理主義は受け容れられなかった。
そして、もし道徳上の理由から、経験主義も同じく受け容れられないと考えたなら、彼らは新しいかたちの倫理的合理主義を作り出すことを強いられたのである。
4-5
〔カント主義〕
カント自身がこの種の問題に動かされた。カントも、何人かの先行者のように、誰もが知り用いることのできるほど単純で、それ自体、動機づけの力をもった合理的原則を探求した。
自己統治としての道徳という強力な道徳観に、カントが規範的に関与したことは、少なくとも大部分、動機についての心理学と同様に、著しく構成主義的な認識論を発展させるべく、カント自身を動機づけた、という考えは、私には非合理であるように思われない。カントの事例は、認識論と道徳哲学の歴史的関係に関する、伝統的な描写が有害無益である唯一の事例ではない。
第5節 「本書の見取図」
5-1
私が論じる理論家の誰もが、道徳と自己統治に関する、道徳と宗教に関する、そしてさまざまな道徳上の見解の認識論、心理学的な要求に関する論争にいずれにせよ参加した。私はこれらの論点についての議論をそれぞれ別々の章にまとめようとはしなかったとはいえ、私は以下では、大まかに年代順および論題別になるように構成した。
近代道徳哲学の発展には4つの主要局面があるように私には思われるので、それに応じて研究する哲学者を分類した。
ある部で扱われる何人かの哲学者の生きた時期は、別の部で論じられた哲学者と部分的に重複する。しかし各々の部のなかでは年代順に書き進められる。
5-2
第1部で紹介されるのは、17世紀に支配的であった道徳観と私がみなすもの、すなわち自然法的な道徳観である。 グロティウスとその後継者の仕事の目新しさを明らかにするために、私はトマス・アクィナスの古典的な自然法学説と、中世におけるその見解に対するいくつかの代替説を手短に素描することから始める。 〔自然法理論〕
そしてルターとカルヴァンが道徳的な生き方における法の位置についての彼ら自身の見解を形づくる際、先の代替的な立場を用いた方法が考察される。 18世紀の無神論者よりかなり前に、もしキリスト教を自分の見解に持ち込まないならば、われわれは人生をどのようなものにできるだろうか、を問題にした者がいた。後代の思想家に開かれる選択肢を明示するために、私はマキャヴェッリの急進的な世俗的政治学とモンテーニュが記憶されるべきものにまでした懐疑論を検討する。 その後スアレスとグロティウスに進む。彼らはどちらも、自然法理論と自らの時代が直面した困難に応答して、自然法理論を再表明しようとした。スアレスは偉大な伝統主義者であり、グロティウスはしばしば、新しい見解の創始者として —— 正当にも、と私は主張するが —— みなされる。 私は「近代」自然法思想の主要な支持者を論じる。そしてロックとトマジウス、すなわちグロティウス説の最後の重要な擁護者についての議論で第1部を終える。両者の仕事によって、自然法理論はなぜ、それに課せられた道徳上の要求に対処できないように思われたのかが明らかになった。 しかしロックは、トマジウスと違って、それらを欠陥とは考えなかった。この両者の後には、重要な自然法思想家は現れなかった。それがなぜなのかも指摘されるだろう。 5-3
17世紀における自然法思想に代わる主な思想が第2部の論題である。
われわれは、自分の認識を完成させることに集中するべきだと考えた者もいれば、自らの意志を完成させることを強調した者もいた。後者ではケンブリッジ・プラニストが特筆に値する。 ライプニッツは、17世紀が生み出したほとんどすべての道徳解釈を根本的に否定することと完全論を結びつけた。 〔完全論〕
最も広く読まれたグロティウス派自然学者であるプーフェンドルフへのライプニッツによる批判と、それに対するバルベイラック —— グロティウス思想を根気強く流布させた人物 —— の応答は、自然法理論と、それに対抗して最も発展した代替理論が、互いの弱点を暴き合ったものの、道徳についての新しい理論に到達することなく終わったということを示している。 5-4
多くの違いにもかかわらず、完全論の提唱者にも、自然法論者にも、神が道徳にとって本質的なものであり続けている。
第3部で私が辿るのは、道徳が神なしに、あるいは少なくとも神の能動的臨在なしにありうることを示そうとする努力と、それが引き起こした反応である。
理神論 —— 神は世界を創造したが世界の運営には介入しないとする見解 —— は、17世紀末に出現し、18世紀には品行方正なものとしてではないにしろ無神論も言及されるに至った。 〔理神論〕
しかし、正統派的見解をもった信者までもが、道徳に要求される神の直接的なはたらきは、彼らの先行者が思っていたよりもはるかにわずかでしかないことを示そうと試みた。
他のフランスの思想家で、神が自らをわれわれに隠していると信じた者は、神の意図にはよるが、観察可能ないかなる神の導きをなしに、いかに社会が機能しうるかについての新しい考えを発達させた。フランス啓蒙に属する哲学者や社会改革者、また同時代のブリテンにおけるそれらの者のなかには、どうすれば道徳が世界において独力でうまくやっていけるかを知るための努力を続ける者がいた。そのような努力のうちに、彼らは不可避的に自己統治としての道徳という理論を発展させるように導かれた。そして宗教上彼らに敵対する者も、彼らの見解を必ずしも拒否したわけではななかった。
5-5
自然法論者によれば、進んで服従することは、神と、神がわれわれに与えた法に対する適切な人間の態度である。
完全論の提唱者はこの見解を支持しなかった。彼らは、われわれの精神が神の精神に近づく手段をもつことや、認識によって自らの意志が制御されうることを信じたため、われわれは自己統治をますます強めるほうへ動いていくことができるとみた。認識の増大を通じて、われわれは実際には神でないとしても、神に似た者になりうるだろう、というわけである。
世界に神の臨在がほとんど、あるいはまったくないと考えた人々のあいだでは、人間は自己に命令できるか、またそうすべきか、ということは問題にされなかった。結局、彼らにとって代わりになる考え方はなかった。問題となるのは、たんに自己統治の能力が普通の人々全員に属するのか、それとも一部の人にのみ属するのか、ということにすぎなかった。
5-6
以上が、カントに先立つ一世紀半のあいだ、道徳を理論化する方法における主要な区分であった。ドイツの思想家は一般にヨーロッパの他の地域でなされた仕事を知っており、自国人であるライプニッツからと同じように、それらの仕事からさまざまな指針を得た。 第4部では私は、ヴォルフとクルジウス、すなわちライプニッツとカントのあいだにいた、もっとも独創的な二人のドイツ人思想家に関する検討から始める。フランスやイングランドではほとんど、あるいはまったく知られなかったが、彼らは18世紀前半に道徳についてドイツ語で哲学的著作を書いた重要人物だった。 私はつぎに、それらと部分的に重なるフランス思想を考察する。そのほとんどは独創的なものではなかった。しかし、フランス啓蒙を生みだしつつあると自任していた社会改革者や急進思想家と一時的に友人となり、その後、猛烈な批判者となったルソーは真の革新者だった。ルソーの古典的共和主義への称賛と共同体と自由に関する非凡な見解によって、道徳を理解する従来の方法からの根本的な決別が提起された。 5-7
カントがこれらの思潮に直面したとき、それらすべてが道徳哲学の諸問題を掘り下げるうえで助けとなった。私はカントの初期思想をみることから、カントと先行者との関係を論じはじめる。〔第22章 「自律の創成」〕 私はカントの道徳論の発展を、彼の成熟した道徳哲学の主要な主張を生みだす準備がなされたところまでたどる。 その主張とは、われわれは、一定の形式に依拠した実践原則を定めることによって道徳を自らに課す自立的な行為者である、とするものである。
その後、カントの成熟期の見解と、それまでの章でたどった以前の論争との関係が論じられる。そうすることで、それまでに論じてきた歴史的題材に関するより多くの実質的な全体像が明らかにされる。たんに全体の結論だけを知りたい読者はここ〔第23章 「道徳哲学史におけるカント」〕で多くの解答を見つけるだろう。一方で、まずこの章を初めに通読すれば前の各章を明確にする手助けになると感じる読者もいるかもしれない。 5-8
最終章〔第24章 「ピュタゴラス、ソクラテス、カント —— 道徳哲学史を理解する」〕では、カントが自らの歴史的な位置づけや道徳哲学の主眼点もしくは狙いについてどう考えていたかが論じられる。それとの関連で、最高善についてのカントの考え方を手短に論じた。 もっともこの章の大半は、道徳哲学史について考える代替的方法について、とりわけ本著で私が例証しようと努めてきた方法についてのより一般的な議論である。